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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)802号 判決

控訴人(被告)

上野長一

被控訴人(原告)

吉村武夫

ほか一名

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人吉村武夫に対し金一二九万八六二一円及び内金一一四万八六二一円に対する昭和五一年八月五日から、内金一五万円に対する本判決確定の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を、被控訴人吉村礼子に対し金一二六万八六二一円及び内金一一一万八六二一円に対する昭和五一年八月五日から、内金一五万円に対する本判決確定の日の翌日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを三分し、その二を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人の負担とする。

この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は、被控訴人ら代理人において、「被控訴人吉村礼子は、損害として、弁護士費用金三〇万円を請求する。」と主張し、控訴代理人において、「右請求は争う。」と答弁したほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  被控訴人らの長男吉村一孝(当時三歳)が、昭和五一年一月六日午後零時五〇分ころ、栃木県河内郡上三川町大字上三川四二九六番地先道路上において、路上に駐車していた普通貨物自動車(茨四四―八五八号、幌付二トン車、以下「甲自動車」という。)の後方から道路を横断しようとした際、その場に走行してきた控訴人運転の普通乗用自動車(栃五五ろ三四八号、以下「加害車」という。)の右前部に衝突し、約一一・四〇メートル跳ね飛ばされて、頸椎骨折、頭蓋骨々折により即死した事実(以下「本件事故」という。)は、当事者間に争いがない。

二  控訴人が、加害車を自己のために運行の用に供していた事実及び控訴人が自動車損害賠償保障法第三条により本件事故によつて生じた損害の賠償責任を負うものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

三  被控訴人らは、本件事故の発生について同人ら被害者側にも過失があつたことを自認しているのであるが、当事者双方の過失の態様及び程度について争いがあるので、検討するに、いずれも成立に争いのない甲第一、第二号証、乙第一ないし第五号証、原審における控訴人及び被控訴人吉村礼子の各本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。

(一)  本件事故の現場は、南河内町から上三川町に通ずるほぼ南北の、幅員五・一〇メートル、アスフアルト舗装、平たん、直線の、歩車道の区別のない道路上であり、速度制限毎時四〇キロメートル及び駐車禁止の交通規制があり、非市街地で、自動車の交通量は普通、人の交通量は閑散という状況であつて、前方の見通しは良好であつた。

加害車は、ダツトサンで、車長が四・〇〇メートル、車幅が一・五〇メートルであり、ハンドル、ブレーキはいずれも良好な状況であつた。

(二)  控訴人は、加害車を運転し、南河内町方面から上三川町方面に向かい、時速約五〇キロメートルで北進しながら本件事故現場付近に差しかかつたが、前方道路右端(東側)に駐車中の甲自動車を認めていたところ、同車まで約六四メートルの地点付近に接近したころ、同車の右脇(東側)に被控訴人吉村礼子の立つている姿を認めたこと等から、アクセルペタルから足を離して減速し、また、そのころ道路の左脇(西側)を上三川中学校の校庭に向かつて歩いていた被控訴人吉村武夫とその長女吉村ひろみ(当時五歳)を認めた。そこで、控訴人は、被控訴人武夫、ひろみの親子連れを見やり、甲自動車との車間距離に気を配りながら走行したので、同車の後方から被控訴人礼子らが道路を横断することには思いが及ばず、同車の側方を通過しようとして、時速約四〇キロメートルですれ違いを始めたとき、同車の後方に人の足の動くのを認め、その直後に道路を右方から左方へ横断しようとして同車の後方から飛び出した亡一孝を五、六メートル右前方に発見し、直ちに急制動の措置を講じたが、間に合わず、加害車の右前照灯付近を同人に衝突させて、同人を道路右脇(東側)の水田まで右前方に約一一・四〇メートル跳ね飛ばし、更に約一〇・七〇メートル走行して停車した。

(三)  被控訴人らは、食糧品販売業を営んでいたが、その日は定休日であつたので、宇都宮市の卸売市場まで食糧品を仕入れに行く序でに、子供らを連れ出して遊ばせてやろうと考え、甲自動車の助手席に被控訴人礼子が乗り、運転席の被控訴人武夫との間にひろみと亡一孝を乗せて出発した。同人らはその用事を済ませた後、被控訴人武夫が同車を運転し、他の三名は同じような位置に乗車して帰途に就いたが、上三川町で施工していた道路工事の現場を避けるため、その市街地を抜け、上三川中学校の校庭脇を通りかかつた。被控訴人武夫は、子供らが校庭でタコ上げをしていたのを、ひろみと亡一孝に見せてやろうと考え、本件事故現場の道路左端(東側)に、前部を南方に向けて同車を駐車させ、ひろみを運転席の方から抱き降ろして、一足先に道路を横断し、道路の西脇にある校庭の土手付近まで近付いた。被控訴人礼子は、亡一孝を助手席の方から抱き降ろし、同人の肩を押えて歩かせながら同車の後方に回り、同車の右後部付近で立ち止まつた上、同人を左手前に立たせて左方(南方)からの交通を確認しようとしたのであるが、そのとき、同人が道路を横断しようとして同車の後方から小走りに飛び出し、同人は加害車の右前照灯付近に衝突して、跳ね飛ばされた。その際被控訴人礼子も路上に転倒し、左頬部左胸鎖乳突筋部挫傷、右大腿部挫傷を負つて、一週間の安静加療を要した。

なお、被控訴人礼子は、原審において、「亡一孝と手をつないだまま、半歩ぐらい踏み出そうとしたとき、同人が加害車に跳ね飛ばされた」旨供述するが、右供述は前記乙第一ないし第五号証及び控訴人本人の供述と対比して信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで、右認定事実から判断するに、まず、控訴人は、比較的幅員の狭い道路上に甲自動車が駐車し、その右脇に被控訴人礼子が立つており、道路の左脇に被控訴人武夫ら親子が歩いていたのをそれぞれ認めたのであるから、同車の後方から道路を横断する者があるのではないかと予想することもできたものと推認することができるものであり、控訴人としては、警音器を吹鳴して警告を発し、あるいは適宜減速徐行するなどして、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたのに、これを怠り、横断者のあることに思いを至さず、時速約四〇キロメートルのまま同車の側方を通過しようとしたものであるから、その過失は決して小さくないものというべきである。

次に、被控訴人武夫は、見通しの良好な道路であつたとはいえ、交通量が普通程度の駐車禁止の規制のある道路に甲自動車を駐車し、自らはひろみを連れて一足先に道路を横断し、タコ上げをしていた上三川中学校の校庭に向かつていたのであり、被控訴人礼子は、これに遅れて同車から降り、亡一孝と連れ立つて同車の後方から道路を横断しようとしたのであるから、事理弁識能力のない同人が、タコ上げを見るのに夢中になり、あるいは反対側を先になつて歩いていた父と姉の許に追い付こうとして急ぐ余り、左右の交通の安全を確かめもしないで、母より先に一人で道路を横断しようとする行動に出ることもあり得ることを予想することができたものと推認することができるのであつて同被控訴人としては、亡一孝がそのような行動に出ないように同人の手を強く握るなどして、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたのに、これを怠つたため、同人の行動を規制し得なかつたものであり、また、被控訴人武夫としても、亡一孝の右のような行動を予想し、事前に安全な方法を措るように指示するか、あるいは一緒に行動するかして、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたのに、同被控訴人が事前に右のような注意を与えたことを認めるに足りる証拠はなく、同人は、亡一孝らを残したまま、一足先にひろみと横断し、反対側を歩いていたのであるから、右の注意義務を怠つたものというべきである。したがつて、被控訴人らは、いずれも亡一孝の監督義務者として過失があつたものと見るべきであり、その過失の程度も小さいものではない。

そして、当事者双方の右のような注意義務懈怠の態様から見ると、その過失の程度は、これを控訴人において七割、被控訴人らにおいて三割と認めるのが相当である。

四  次いで、控訴人に賠償を命ずべき損害について検討する。

(一)  葬儀費用

被控訴人武夫が同人主張の葬儀費用を支出したとの事実を認めるに足りる証拠はないが、原審における被控訴人礼子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、被控訴人武夫は亡一孝の葬儀費用として四〇万円を下らない支出をしたものと推認することができ、前記過失割合を考慮して、そのうちの二八万円を控訴人に負担させるのが相当である。

(二)  亡一孝の逸失利益の相続分

前記甲第一号証によると、亡一孝は昭和四七年一一月二一日生まれの男子であつた事実を認めることができるが、被控訴人らは他に立証をしない。しかし、当裁判所に顕著な事実によると、亡一孝は、本件事故に遇わなければ、満一八歳から満六七歳まで稼働することができたものであり、賃金センサス昭和五〇年産業計、企業規模計の全労働者の平均給与額が年額二〇五万三八〇〇円であり、同人の生活費が収入の五割を占めるものであることを認めることができる。

そこで、同人の逸失利益の死亡時における現価をホフマン式計算法によつて算出すると、右現価は、右年収から生活費を控除した金額にホフマン係数一七・三四三八を乗じて、一七八一万〇三四八円となる。なお、教育費は控除しないこととする。

被控訴人らは、亡一孝の父母として、右の損害賠償請求権を相続分に応じ、二分の一ずつ相続したものと認めることができる。

しかし、前記過失割合を考慮し、そのうちの各七割に当たる各六二三万三六二一円を控訴人に負担させるのが相当である。

(三)  慰藉料

前記乙第二、第三号証、原審における被控訴人礼子本人尋問の結果によると、被控訴人らは亡一孝の死亡により甚大な精神的苦痛を受けた事実を認めることができるところ、前記二で認定した本件事故の態様、過失割合その他一切の事情を考慮すると、被控訴人らの精神的苦痛を慰藉するには、控訴人をして、各被控訴人に対し一五〇万円ずつを賠償させるのが相当である。

(四)  損害の填補

自賠責保険から、被控訴人武夫が同人主張の六八六万五〇〇〇円、被控訴人礼子が同人主張の六六一万五〇〇〇円の各支払を受けた事実は、当事者間に争いがない。

右各填補額を控除すると、その残額は、被控訴人武夫につき一一四万八六二一円、同礼子につき一一一万八六二一円となる。

(五)  弁護士費用

被控訴人らが弁護士に本件訴訟の追行を委任した事実は、記録上明らかであり、訴訟活動の難易、認容額等を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある損害として、被控訴人ら各自につき一五万円ずつの弁護士費用を控訴人に負担させるのが相当である。

五  以上の次第であるから、被控訴人らの本訴請求は、控訴人に対し、被控訴人武夫において、一二九万八六二一円及びこれから弁護士費用を控除した一一四万八六二一円に対する不法行為の後である昭和五一年八月五日から、弁護士費用一五万円に対する本判決確定の日の翌日から、各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被控訴人礼子において、一二六万八六二一円及びこれから弁護士費用を控除した一一一万八六二一円に対する右昭和五一年八月五日から、弁護士費用一五万円に対する本判決確定の日の翌日から、各支払ずみに至るまで右と同じ割合による遅延損害金の支払を求める限度で、いずれも理由があるからこれを認容すべきであるが、その余の支払を求める部分は、いずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

よつて、本件控訴は一部理由があるから、原判決を右趣旨に従い変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡本元夫 長久保武 加藤一隆)

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